永田佳之:聖心女子大学准教授。国際基督教大学博士課程修了、教育学博士。1995年に国立教育研究所(現国立教育政策研究所)に入所して以来、ユネスコ等との国際事業や国際比較研究に携わる。主著:『オルタナティブ教育:国際比較に見る21世紀の学校づくり』(新評論)『未来をつくる教育ESD:持続可能な未来をめざして』(共著:明石書店)など。)
本日の話の流れ
こんにちは。聖心女子大の永田と申します。先ほど古山さんのほうからご紹介いただいたんですけども、昔、サマーヒルというイギリスの、当時、世界で一番自由な学校だといわれている学校で教員をしていました。その後、世界のいろいろなサマーヒルの影響を受けたりした学校を訪れたり滞在したりして、15年ぐらい前からですかね、やっぱりそういう学校(オルタナティブな学びの場とか、オルタナティブスクールと呼ばれていますけれども)は、社会的に育まれるべきじゃないかというような考えに至って、ちょうど10年前に全国調査を実施しました。おそらく、オルタナティブな学び舎を対象にした全国調査は初めてだと思います。
今日は、その10年前に行われた全国調査が二つあるんですけれども、そこらへんからお話しをして、その10年間、いったいどういう軌跡をわれわれが描いてきたのかということを振り返りながら、何か未来を展望できたらなというふうに思っています。
二つの調査は、私が前、国の研究所に12年おりまして、主にアジア・太平洋地域の人たちと一緒にユネスコなどの仕事をしてたんですけども、日本がたまたま、日本の教育が相対化できるような、外国の教育から、見ざるを得ないような仕事をしていましたので、常々いろいろな疑問を抱いていました。その中で、アジアでもいろいろなオルタナティブな教育がうごめいているときで、これは面白いなと。同時に、当事者たちが非常にしんどい思いをしていた。本当に体を張って学び舎を守っている人たちがアジアにたくさんいて、そういう人たちと一緒に仕事をしたような時代でした。そこいらへんも今日シェアできたらなというふうに思っています。
一応、タイトルは、現代社会と教育の多様性ということで、グローバリゼーション時代のオルタナティブ教育というふうに掲げております。今日の話は、「失われた10年」という、ちょっと過激に聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんけれども、この10年を「失われた」というような形容を付けてlost decadeというふうに位置づけております。
世界のオルタナティブ教育をざっと見た後、その国際比較調査をしましたので、その明らかになったことを皆さんにお伝えして、オルタナティブ教育を一回類型化しようということでいくつかのタイプに分けます。その後で、最後に、この10年間に同時進行したもの、失われた10年と同時進行したものは何なのかということを踏まえながら未来に目を向けていけたらなというふうに思っています。
日本のオルタナティブな学び舎の全国調査から見えたこと
先ほど言いましたオルタナティブ教育に関する実態調査、実際何が起こっているのかと。不登校の子どもたちに関しての統計はいろいろ出るんだけれども、その受け皿はどうなっているのかというようなことがわからなかった時代が10年ちょっとまで続いてたんだと思います。国立教育研究所、今は国立教育政策研究所ですけども、そこにいた私と、今、早稲田大学にいる菊地栄治先生が中心となって、オルタナティブな学び舎の教育に関する実態調査を行いました。いったい学び舎はどのぐらいあるのかと。どのぐらいの子どもたち、何歳の子どもたち、どういうスタッフが働いてどのぐらいの給料をもらっているかと、いろいろそういうことを調べました。
2番目に、その第1回目の調査に、当時、適応指導教室と呼ばれていた公的機関、それを加えて比較しようということで、二つの調査を行っております。
その結果、不登校の子どもの割合がこんなに増えてるよというのは、得に80年代後半以降急増しているということが、これは文科省の統計でわかっていたんですが、これと同時にわかったことは、こういうふうな学び舎です。不登校の子どもたちに関連して、親の会、塾でも不登校の子どもたちを受け入れているところがあったり、補習塾があったり。または、フリースペースと呼ばれているところ、フリースクールと呼ばれているところが増えていたわけです。
特にフリースペースに関しては非常に急増している。親の会は減っているようですけれども、多分、親の会がフリースペースに移行しているというふうなことが予測される。これだけ増えてきているんだなと。先ほどの不登校の子どもたちが11万、12万と増えていった、それに合わせるかのごとく増えていったということがわかりました。
内容なんですけども、いろいろと、アンケート調査、またはインタビュー調査をした結果わかったことが、子どもたちが元気づけられている、エンパワーメントされているということです。
あと、子どもたちの個々のニーズに応じた教育が行われているということ。3番目に、保護者、ボランティアが参画しているということです。4番目に、当事者中心の問題解決が行われていること。例えば、いじめが起きても、先ほどの適応指導教室の対応は、まずは教育委員会に知らせる、教育委員会の指示を待つとか、そういう回答もあるんです。ところが、フリースペースとかフリースクールでは、その当事者、子どもたちがみんなで話し合う、またはけんかした同士で話し合うとか、そういう解決法が行われているとか、そういう違いがはっきりしていました。あとは、地域に開かれた運営です。
こういうことがわかるにつれ、今日の話の一つ、新しい公共、それが鳩山政権が何を指したかというのはさておいて、新たな公共性というのが、こういうフリースクールとかフリースペースから生まれていたんじゃないかというふうなのがわれわれの結論の一つでした。
よく考えてみると、文科省が言ってるような、「学校を開いていく」とか、「地域に開かれた」とか、あとは、「親の参加」とか、「生きる力」と重なるわけです。文科省がいっているような政策がこうふうな形で、実は学校ではないところで実現されているというような見方もできるんじゃないかと思います。
一方で直面する課題は多く見られました。例えばですけども、スタッフが不足しているというふうに答えた先ほどのフリースクールなどの学び舎は7割に達しました。または、財政不足が9割です。活動経費の不足が7~8割、施設設備の問題、近くに自然がないとか、公園がないとか、いろいろな設備が足らないとか、それも多くを占めてました。
そこで見えてきたのが、非常に、公共性にとって大切なことを実践しているにもかかわらず、支援体制がぜい弱であるというような社会問題でした。
例えばですけども、公費助成が求められていました。いろいろアンケートをとってみると、自分の学舎の年収全体の2割を越える品目に関して答えていただいたんですが、財源の多くは授業料というのと、または、個人寄付。または、バザー、講演会などの収益金をかき集めてやっているというような、そういうようなぜい弱といえる財政体制が見えてきました。
またはこれは、いわゆる授業料ですけども、フリースクールに通っている子どもたちの平均的な月額は3万1,000円を超えているわけです。フリースペースは1万6,000円、7,000円近くです。塾は当然もっと高いわけですけれども、こういうような経費を払いながら、もちろん税金を払っているわけですから、プラス、こういう教育費を払いながら子どもたちが育まれているというような現状も見えてきました。
世界のオルタナティブ教育の国際比較調査から見えたこと
ここで、日本のそういう状況を明らかにしつつ、海外の国際比較調査、海外ではいったいどうなってるんだろうということも調べたのが、10年前ぐらいから5年間ぐらい集中して行った海外調査です。
(スライドの写真を見ながら)さて、皆さん、本当に暑い中来ていただいているので、イマジネーションを働かせてください。これはどこの国でしょうか。え、ケニアですか。
参加者:南米。
永田:あ、鋭いですね。南米です。南米の最貧国と世界銀行からレッテルを貼られていますけど、どこでしょうか。
参加者:ボリビア。
永田:そうですね、ボリビアですね。ボリビアには素晴らしいフリースクールが実はあるんです。エクアドルのスリースクールからの影響を受けている学校で、こういうふうに先住民の家をまるい形で作ったり、角がない教室があったり、昔からの知恵を生かした、しかも最新のメソトロジーを使っている。そういう学校があったりします。こういう学校を調べたり。
これは英語が書いてあるのでわかっちゃうんですけど、アメリカです。Center for Appropriate Transport。適したトランスポート。つまり輸送手段ですけども、自転車です。カーター大統領も広めた言葉です。適切な輸送手段としての自転車。その自転車屋さんセンターがまちの子どもたち、いわゆる、世間では不良といわれている子どもたちを集めて自立をさせている。これも公の支援を受けているプログラムです。オレゴン州です。これは、同じオレゴン州のホームスクーラーの子どもたちの学校です。ホームスクーラーが学校に行くというのは矛盾しているようですけれども、こういう形で、毎日じゃなくて定期的に集まって、本当に学校ですよね、こうやって見ると。公費を使ってですけれども、社会的に育まれている、その一例です。
これは、この建物だけではわからないですね。ヒントは文豪です。戦争と平和。
参加者:トルストイ。
永田:はい。トルストイが開いたフリースクールです。サマーヒルと同じような学校を彼は、随分、多分世界で初めてですけども、かなりラディカルなやり方で学校を開いています。ロシアの南、モスクワの南ですけども、ヤーズナヤ・ポリャーナというところで、今でもこの学校の建物があります。もちろん彼のお墓も近くにあるんですけども、ここでかなり先進的な教育を彼はやっていたんです。その影響かどうか、ロシアでいろんなユニークな、本当に温かい先生たちが一生懸命フリースクールを、オルタナティブスクールを作っているわけです。これは自己決定学校という世界でも珍しい200人以上の大規模なフリースクールです。非常に大きな学校で、子どもたちが自主、自立して物事をすべて決めて運営しています。こういう学校がロシアにもあるということです。
これはちょっと東洋で、皆さんおわかりですか。仏教系の学校ですけども。韓国です。韓国ではキリスト教系のフリースクールですけども、学校に行けなくなってしまった子どもたちを牧師さんが預かって、こういうところでユニークな教育をやっています。
これもアルファベットが見えるんでわかっちゃうかもしれませんけども、中等教育学校です。どこでしょうか。入口を入るとこの写真があるんです。アンネ・フランクです。アンネの日記を書いたアンネさんが実際に通っていたモンテッソーリの学校です。モンテッソーリというのは、就学前教育とか初等教育が多いんですけれども、オランダではこういう形で中等教育まで行われているということです。または、オランダではここに、インスペクター、学校監査の専門の機関が国中にありまして、こういう形で学校を支援するという機関もあります。
これは南国です。同じアジアですけれども、こういう形で、森の中で授業が行われているようなところもあります。これはどこかといいますと、サマーヒルの影響を受けた学校ですけども、「子ども村学園」というタイの学校です。
次は同じアジアですけれども、もうちょっと北に行きます。子どもたちが遊んでますけど、非常にユニークな教育が行われています。これは台湾のオルタナティブスクールです。台湾にもいくつかオルタナティブスクール、チャイナスクールを含めて、今できてます。すごいかわいい子どもたち。
これは、おわかりでしょうか、オセアニアのほうです。アデレード郊外にあるオーストラリアのシュタイナー学校です。これは卒業式です。卒業生は1年生から花束じゃなくて一輪の花をもらって卒業していく、それで演奏して歌を歌って、そういうようなのどかな卒業式です。これは授業風景です。
次は一気にヨーロッパに飛びますけども、これも本当に手づくりの学校なんですが、公費助成のもとに運営されているフリースクールです。デンマークです。親が共同してこれぐらいの建物を造っちゃうんです。これも新聞に載った建物ですけれども、木工がすごく盛んな国で、お父さんたちはこういうところで大活躍をするわけです。
デンマークの首都コペンハーゲンにある六つの支援協会オフィスが集まっているフリースクール系のいくつかのストリームがありまして、その六つが一つの建物に集まっています。こういう形で、支援協会というのが非常に発達している。それがデンマークの特徴かなと思います。
これは、同じデンマークですけれども、学校じゃないですね。大きな人しかいませんから、何かというと、オルタナティブスクールの教員養成学校で、経費、財政から見ると国立です。国がそのほとんどのお金を出して、教員養成もユニークな教育をするユニークな先生をユニークな方法で育てています。
こんな感じでいろいろと、今皆さんに世界を半周ぐらいしていただきましたけれども、こういうふうに国際調査をしてわかってきたことは、世界中でオルタナティブな学校が台頭しているということが10年ぐらい前にわかりました。特にシュタイナー学校です。これは、欧州、アジア、北南米、オセアニア、世界中に広まっています。または、アメリカではチャータースクールが広まった時期でした。先ほど、古山さんのお話にありましたけども、ダルトンプラン、イエナプラン等、オランダでも多様な学校が広まっていった。スウェーデンでは、訳せば自由学校というのが広まっていった。アメリカなどですけれども、サドベリー・バレーなどの他、デモクラティックスクールも広まっていた。デンマークで、先ほどご覧いただいたフリースコーレ、自由学校ですけど、それも広まっていた。韓国では、代案学校を支援する法律もできてきた。台湾では理念学校が生まれました。世界中、アジアを含めてこうした学校ができて、支援体制についても議論されてきました。そういうような時代が90年代以降世界中であったんだと思います。
その潮流としては、市民立というか、市民のイニシアチブによる学校、学び舎づくりが広まっていると言えます。それに対して支援ネットワーク、メカニズムが台頭しているとも。そしてメーンストリームの公立学校とどういうふうに違うのかなど、その認証のあり方が課題として浮き彫りにされるようになりました。公費助成の要求が市民サイドからいろんな国で行われていたということです。
世界のオルタナティブ教育の係争問題
こういうような潮流があったんですが、大きくみると、この10年というのは新自由主義が台頭した10年だったと思います。弱肉強食に象徴されるような、動きが教育界でも見られたと。あとは、グローバルスタンダードとよく言われますけれども、世界標準化が進みました。標準化志向の教育政策、例えば、全国標準テストとか、OECDによるPISAテストとか、そういうのも広まっていった。そういう10年だったと思います。
つまり、最後に強調したいのは、多様なニーズが世界各国で、社会で出てきたのと同時に、標準化の動きも新自由主義に押される形で広まっていったのです。この両者のテンションが、緊張感が各社会にみられた。そういう10年だったと思います。
その結果、オルタナティブスクールをめぐる裁判を含めた係争問題が各国で起こっていたこともわかりました。96年ぐらいから、一番早いのは、トゥビンド校というものすごいラディカルな学校ですけれども、教育目的以外のお金を使ったんじゃないかということ。それは途上国援助とかそれも含めたお金なんですけども、それも裁判になっています。または、イギリスの、先ほどお話しに出ましたサマーヒル。古山さんがおっしゃった世界の、一番ラディカルな学校といわれているサマーヒル校、そこでも教育水準の低さとか、カリキュラムが狭いとか、トイレが足りないとか、いろんなことを政府にいわれまして、裁判になりました。また、オーストラリアの、私の知人がやっている学校、サドベリー型の学校ですけれども、そこも地方政府に訴えられたのです。韓国のガンジー校、台湾の学校、ニュージーランド、オランダ、オーストラリア、各地域でこの10年、15年でいろんな裁判などが行われてきたのです。
これを見るとわかるのが、振り返ってみると、ほとんどのケースが、学校側、市民サイドが勝ってるか、和解かです。和解だけれども、実質は、例えば、サマーヒルがその典型ですけれども、フリースクールのほうが勝ち取っているといえるケースもあります。
これは2003年までですけども、その後も、例えば、皆さんご存じかもしれませんけども、アメリカのカリフォルニア、西海岸のほうではPLANSというシュタイナー学校がきちっと教育を行っているかどうかに対する疑問が市民サイドからも挙げられていまして、今でも議論が続いています。
または、オーストラリア、私も途中までこれは追いかけてるんですが、昨日調べた情報だと、メルボルンを中心にビクトリア州では17校が特性化、特別なカリキュラムを持っていいよという公費助成の学校です。公立の中にシュタイナー学校があったり、いろんなケースがあります。ちょっと信じられないですけど、公立学校の廊下で、右側は普通の公立学校、左側はシュタイナー学校という学校があるんです。
ところが、ちょっと宗教的すぎるんじゃないかとかいうクレームが親から挙げられていたり、または、読み書きを、シュタイナー学校の場合は、公立学校ほど早くから教えませんから、それに対するクレームとかがオーストラリアでも起こっていまして、これも社会問題化しています。
オーストラリアでは、非常に国際的な、世界標準の学力というのに各州も連邦政府も注目しています。その中でシュタイナー教育のようなユニークな学校教育は非常に苦労しているわけです。
ということで、多様性と世界標準、つまり一元化のテンションがある国の一つだと思います。それはオーストラリアに限らずヨーロッパ等でも同じような動きが出てきた、そういう10年だったと思います。
こういうような潮流があったんですが、大きくみると、この10年というのは新自由主義が台頭した10年だったと思います。弱肉強食に象徴されるような、動きが教育界でも見られたと。あとは、グローバルスタンダードとよく言われますけれども、世界標準化が進みました。標準化志向の教育政策、例えば、全国標準テストとか、OECDによるPISAテストとか、そういうのも広まっていった。そういう10年だったと思います。
つまり、最後に強調したいのは、多様なニーズが世界各国で、社会で出てきたのと同時に、標準化の動きも新自由主義に押される形で広まっていったのです。この両者のテンションが、緊張感が各社会にみられた。そういう10年だったと思います。
その結果、オルタナティブスクールをめぐる裁判を含めた係争問題が各国で起こっていたこともわかりました。96年ぐらいから、一番早いのは、トゥビンド校というものすごいラディカルな学校ですけれども、教育目的以外のお金を使ったんじゃないかということ。それは途上国援助とかそれも含めたお金なんですけども、それも裁判になっています。または、イギリスの、先ほどお話しに出ましたサマーヒル。古山さんがおっしゃった世界の、一番ラディカルな学校といわれているサマーヒル校、そこでも教育水準の低さとか、カリキュラムが狭いとか、トイレが足りないとか、いろんなことを政府にいわれまして、裁判になりました。また、オーストラリアの、私の知人がやっている学校、サドベリー型の学校ですけれども、そこも地方政府に訴えられたのです。韓国のガンジー校、台湾の学校、ニュージーランド、オランダ、オーストラリア、各地域でこの10年、15年でいろんな裁判などが行われてきたのです。
これを見るとわかるのが、振り返ってみると、ほとんどのケースが、学校側、市民サイドが勝ってるか、和解かです。和解だけれども、実質は、例えば、サマーヒルがその典型ですけれども、フリースクールのほうが勝ち取っているといえるケースもあります。
これは2003年までですけども、その後も、例えば、皆さんご存じかもしれませんけども、アメリカのカリフォルニア、西海岸のほうではPLANSというシュタイナー学校がきちっと教育を行っているかどうかに対する疑問が市民サイドからも挙げられていまして、今でも議論が続いています。
または、オーストラリア、私も途中までこれは追いかけてるんですが、昨日調べた情報だと、メルボルンを中心にビクトリア州では17校が特性化、特別なカリキュラムを持っていいよという公費助成の学校です。公立の中にシュタイナー学校があったり、いろんなケースがあります。ちょっと信じられないですけど、公立学校の廊下で、右側は普通の公立学校、左側はシュタイナー学校という学校があるんです。
ところが、ちょっと宗教的すぎるんじゃないかとかいうクレームが親から挙げられていたり、または、読み書きを、シュタイナー学校の場合は、公立学校ほど早くから教えませんから、それに対するクレームとかがオーストラリアでも起こっていまして、これも社会問題化しています。
オーストラリアでは、非常に国際的な、世界標準の学力というのに各州も連邦政府も注目しています。その中でシュタイナー教育のようなユニークな学校教育は非常に苦労しているわけです。
ということで、多様性と世界標準、つまり一元化のテンションがある国の一つだと思います。それはオーストラリアに限らずヨーロッパ等でも同じような動きが出てきた、そういう10年だったと思います。
世界のオルタナティブ教育政策の類型化
こういう状況下でいろいろと国際比較調査をやって、一つ注目したのが、質保証が何なんだろう、QAと書いてますけれども、Quality Assuranceです。もちろん企業でもクオリティーコントロールとかよく使われますが、保証していくという意味で、コントロールよりもアシュアランスのほうがいいのかなと思いまして、QAという言葉を使いました。組織の自立性を図るために、例えば、カリキュラムは自分たちで組めるか、教科書は自分たちで選べるか、教員養成はどうなのかとか、ソフト面を中心にアンケート調査をしました。各国から、教育省、市民側から寄せられた回答を基に比較調査をしました。
もう一つ、社会でオルタナティブのあるものが育まれるべきだと最初に申し上げましたが、それを実現するために必要な、大切な軸は、財政支援、パブリック・サブシディーズ(Public Subsidies)という英語を使いました。PSです。実際どのぐらいの支援が各国政府、社会がその学校、オルタナティブな学びの機関に対して行っているか、つまり、公共性への社会的な保証を調べて図を作ってみました。
これは、データを入れた散布図です。ちょっとこれだとわかりにくいので簡単に類型化をして四つに分類しました。QAの縦軸は、カリキュラムとかに対する要求が高ければ、それが上です。自由度が高ければ低くなります。公立学校と比べて公費が。10割の学校がこっちです。ゼロパーセントの学校はこっちです。そこで一つ出てきたのが、まさかないだろうと思ったら出てきたのが、消極支援、ほとんどお金は出さないけどもうるさいところ。そんなのありかと。当時のカナダのオンタリオ州がそうだったんですけれども、あそこはすごく伝統的にフリースクールとかが育まれてきたところで、そこで新自由主義にのっとったような政情が台頭して、非常に窮地にフリースクールが追い込まれていた。そのフィールドをわれわれは回ってきました。そういう地域もあるんだなと。これは大変だなと思いました。または、イギリスのサマーヒルは、原則的に消極支援だけれども、放任型、放っとかれてます。イギリスというのはこういう伝統があるんです。非常にユニークな社会だと思います。日本のフリースクールはどうかというと、支援はないんだけども、基本的に放っといてくれてる。10年前まではそういうふうな情勢があったと私は見ています。
もう一つは、積極的に支援する育成型。特にお金の面で支援するけど口はあまり出しません。デンマークがその典型ですけども、積極支援だけども育成する。そういう型です。または、アメリカのオレゴン州などはこれにあたっていたのですが、その後ちょっと変わってます。もう一つが、積極的に財政支援するんだけども、お金も出すけども口も出すという積極支援管理型です。
世界の情勢を見てみると、こっち(積極支援管理型)のほうに向かってると思います。世界標準というのは非常に強い動きで、多様なものを取り込みつつ、一元的な標準でくくっていく傾向が見られます。先ほど言ったオレゴン州がここにあったんですが、こっちにいってます。ということで、多元化よりも一元化の方向に向かっていったのがこの10年であると、世界的におしなべてみると、言えるんじゃないかと思います。
実は、デンマークはそういう意味では非常に注目されていたところですけども、移民の、特にイスラム系移民の学校の問題がいろいろありまして、こっち(積極支援管理型)に少しずつ向かっているように思います。デンマークですらそうです。
積極支援育成型の特性にわれわれは注目しました。ここから何が学び取れるんだろうと。というのは、日本の場合も、もちろん、未知なるものが生まれると社会的に不安ですから、これはカルトじゃないかとか、右翼じゃないかとか出てくるわけです。NPO法の議論にもそれはあったと思います。
特に東アジアはこっち(管理型)のドライブが強いと私は見ていますから、韓国、日本とか、東アジアの国の場合はここ(積極的支援育成型)に注目することが必要じゃないかと思って、ちょっと詳しくこういう社会のあり方について調べてみました。
一つの特徴は、人間の内発的な発展を信頼してること。そしてそれを助長するような精神文化もしくはそうした精神を体現するキーパーソンが存在するということです。
もう一つは、多様なアソシエーション、学校も含めた組織ですけども、それからなる多元的な教育社会であるということ。先ほどの写真六つの看板が一つの大きな建物にありました。全部支援組織です。ああいう形で、支援団体一つじゃなくて、それぞれの支援、きめ細かな支援のあり方が行われている。そういう社会です。
さらに一つが、精神文化が生かされるような社会構造の基盤となる規程が憲法レベルのみならず、旅行規程レベルでも見られるということです。日本憲法は私は素晴らしいと思っています。ところが、省令とか施行規則になるといろいろ変わって変容していきますので、そういうレベルでもその精神が定置されているということです。
積極支援管理型なんですが、これで成功する社会もあると思いますが、東アジアの場合は私は危険かなというふうに思っています。例えば、フリースクール等をどういうふうに認証していくかとかという話です。独自性は一元的な物差しではかれるかどうかです。認証のプロセスでは効率化が求められますが、教育という営みのすべてが効率的であるかべきかというと決してそうではないと思います。また、内発的に発展していく、つまり植物が伸びていくような発展ではなくて、外から無理やり引っ張られていくような発展にいくんじゃないかと思うのです。
不登校の子どもたちの学習機会の拡大と称して、自宅でのIT学習が、出席扱いにするという形で、これは地方の行政の例ですけども、いわばソフトな管理システムが進んだのもこの10年です。例えば、その要件として、保護者と学校のあいだに連携協力関係があるとされているのはいいとして、訪問などの対面指導ができる。計画的な学習プロセスである。学校外の公的機関で相談指導を受けられない場合である。が挙げられています。さらに、留意事項としてこっちが問題なんですが、専門家以外の者が対面指導を行う場合には事前の研修を受ける。出席扱いにできる日数について、規定を作製する。ということで、精緻化、どんどん細かいほうに規定が決められる。家庭すらも学校化、プログラム化されていくような時代になりつつあると思います。
もう一つ、動きは、これは家庭に対するんじゃなくて、制度そのものです。指定管理者制度が導入されています。それで、競争力を持つ企業などと競合しなくてはいけない。もちろん子どもたちのことは一番フリースペースがよく知っているわけですけども、そうでない領域で競争しなくちゃいけなくなってきている。不登校の子どもたちのための公的施設が管理運営を外注するような変な事態まで起きてきているというのが最近の事情だと思います。
なぜオルタナティブが大切なのか
ここで、なぜオルタナティブが大切なのかというのを社会的な認識として共有されなくてはいけないと思います。
一つは、これはデンマークからの知恵ですけど、全体主義はやっぱり怖いということです。それは戦争体験からきています。もう一つは、学力等の世界標準化を相対化するということです。これも一つの全体主義につながるかもしれませんけども、相対化の作用を社会全体の中できちっと大切に育てていくということです。
サウンドマイノリティーという英語があります。これもデンマークの言葉ですけども、少数派であること自体が大切なんだということが知恵として育まれてきたのです。私はそれをシステム内のスキマとか、アソビ、その大切さとして訴えてきました。
これは時間がないので飛ばします。佐伯先生がいい言葉で言ってるんですけども、後で文献を紹介します。
国際調査からの示唆なんですが、学力の多様な見方というのが必要です。評価は、100歩譲ったとして、必要だとしましょう。学力の多様な見方がその場合は欠かせないと思います。総合的な学習能力の評価とか、表現活動の評価とか、オルタナティブな学びの評価です。例えば、インシデンタルな、突然、偶然性をもって何かを学んでしまうとか、または、セレンディピティといって、幸運を引きつけるような力ですね、シュタイナー学校とかで私は育まれている力、能力だなと思っていますが、そういうのを大切なものとしてきちっと評価していくということです。
評価の手法も多様であるべきです。評価手法についてはいろいろなオルタナティブスクールの例を私の著書の中で挙げています。一元的な物差しではない手法やあり方を開発しなくちゃいけないということ。もう一つは、特に東アジアの場合ですか、精緻化、規定をたくさん設けていく傾向にありますので、非規定性、例えば、テストをやっちゃいけないんだと規定していくことも大事です。子どもたちはそういう形で守らなくちゃいけないということで、あえて、非規定性、規定をしない領域を設けていく規定をするということです。
例えば私の知っている国際的な機関では、水曜日の夜は残業なしとされています。それも非規定性の規定です。国際機関なのに日本人はいつも残業していると。水曜日の夜だけはなしとして、家族が幸せになって、元気も出て、その機関も活性化していくという話も一緒だと思います。そういう知恵が社会の中で必要なんじゃないかと。または、まなざしを多元化していくということ。そして、オルタナティブ教育の社会的な役割、さっき3点ありましたけども、ああいうのを共有していくということが大切だと思います。あとは少数派です。多元性、多様性というのも必要だと思いますが、少数派をきちっと守っていく、そういう表現で訴えていくのも一つではないかというふうに思います。
「失われた10年」と、これからの未来に向けて
この10年は先ほどのような公共性が芽生えているというのがわかったにもかかわらず、「失われた10年」と言えるのかもしれません。今日お見せした調査結果は色々なメディアで出ましたが、なかなか浸透していかなかったんです。
その大きな要因は、やはり新自由主義の浸透と時期が重なっているというのが大きく挙げられると思います。新自由主義は、特にリーマンショック以降、今はたたかれている傾向にありますが、グローバリゼーションの勢いは止まりません。そういう中でグローバリゼーションやIT社会をどういうふうに考えていくかというのが、オルタナティブな、多様な、多元的な教育社会をつくっていく上で非常に重要だと思っています。
先進国内の貧困問題も拡大しています。いつのまにか若者、子ども、女性が社会の中で追いやられるようになりました。そういう弱者に対してどうしていくのかということです。また、ブラジルなど外国にルーツを持つこどもたちの教育をどういうふうに保証していくのか。学びの場をどういうふうに保証していくのかという問題もあります。10年間こういうようなしんどい状況に先進国が、日本を含めて置かれるようになってきている。その10年をどういうふうに総括するかというのが今われわれに問われているんだと思います。
もう一つは、グローバルな時代の文脈においてオルタナティブなるものの社会的なミッションは何なのかということを考えていかなくちゃいけないと思います。さらに、その社会的なミッション、使命に対する社会からの支援、それはどういうふうにあるべきなのかということが求められているのでしょう。
だいぶ早口で話したので、報告書、そして、今うしろに置いていただいている2番目の本、ほとんどのデータはこの本から今日は出さしていただいています。セレンディピティはちょっと早口だったので、教育展望という雑誌に載っています。
豊かな教育社会って何なんだろうと、そのイメージを共有していくプロセスを共有することが本当にこれからの10年で行われなくてはいけないと思います。この会もその一端を大きく担っていると思います。
以上です。ありがとうございました。
参考文献
- オルタナティブ教育研究会(国立教育政策研究所)『オルタナティブな学び舎の教育に関する実態調査報告書』
- 永田佳之『オルタナティブ教育:国際比較に見る21世紀の学校づくり』新評論
- 永田佳之「教育とセレンディピティ」『教育展望』教育調査研究所
- 藤田英典『義務教育を問いなおす』ちくま新書
- 佐伯胖『決め方の論理』東京大学出版会