理念中心型教育の紹介

イエナプラン教育

イエナプラン教育は、1923年にドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターゼン教授によって、教育実践を通した教育学的な研究として始められました。子どもたちが根幹グループと呼ばれる異年齢のグループで学ぶという試みがその内容であり、この試みはそれから徐々に、6歳から15歳までの学校、幼稚園、特殊教育へと広がっていきました。

ペーターゼンの取り組みは第二次大戦中を通じて続きましたが、東西ドイツ対立やその後西側に亡命したペーターゼンの早逝などのためにドイツ国内ではその後あまり発展していません。しかし、1950年代にオランダに伝えられ、オランダの新教育運動に関わっていた人達の手で大きく発展、1970年代以後のオランダの教育制度改革に非常に大きな影響を与えています。

オランダにおけるイエナプラン教育は、フレネ教育やその他の国々の異年齢学級の試みなどからの影響もあり、独自の発展を遂げています。

現在、オランダ国内に約220校のイエナプラン小学校(4‐12歳児)があるほか、数校の中等学校もあり、「オランダ・イエナプラン教育協会」を通して関係者の間の交流を深めています。また、ドイツでも、オランダのイエナプラン教育を逆輸入してイエナプラン校を設置する試みが見られるほか、イエナでも、再度ペーターゼンのオリジナルな思想に基づいて、幼稚園から高校までの一貫教育に基づくイエナプラン校再編の試みもあります。

現在、学校数においても、教員間の研修組織の上でも、諸外国の中で最も発達しているオランダ・イエナプラン教育の実践には、以下のような特徴が挙げられます。

  1. 学級は3学年にわたる異年齢の子どもたちによって構成される。学級は『根幹グループ(ファミリー・グループ)』と呼ばれ、学級担任の教員は「グループ・リーダー」と呼ばれる。
  2. 学校での活動は、会話・遊び・仕事(学習)・催しという4つの基本活動を循環的に行う。この4つの活動を循環的に行うために、時間割は教科別で作られず、4つの活動のリズミックな交替をもとにして作られる。
  3. 生と仕事の場としての学校。学校を、子どもと教員と保護者とからなる共同体とみなし、子どもが一日のうちの大半の時間を過ごす場として、リビングルームとしての環境づくりを強調する。
  4. 学校教育の中核としてのワールドオリエンテーション。子どもの経験世界における、真正な現実に対する『問いかけ』に発する学習。教科別の学習との相互交換的な学びを通して、『学ぶことを学ぶ』ために設けられた総合的な学習の時間。
  5. インクルーシブな教育を目指し、生徒集団を、可能な限り生の社会の反映としてとらえ構成するように目指す。この理念に基づき、イエナプラン校は、教育行政が取り組み始めるよりも前から、特別のニーズを持つ障害児や社会経済的背景のためにハンディキャップを持つ子ども達の入学を積極的に受け入れてきた。

イエナプラン教育:参考資料

  • Peter Petersen, “Der Kleine Jena-Plan”,1927, ISBN 3-407-22080-4
  • 三枝孝弘・山崎準二、『学校と授業の変革:小イエナプラン』明治図書、1984年(絶版)
  • Kees Both, “Jenaplan—jenaplanonderwijs op weg naar de 21e eeuw“, NJPV, 1997 (ドイツ語版:Kees Both, “Jena Plan 21”, 2010 ,ISBN 3896763369)
  • リヒテルズ直子、『オランダの個別教育はなぜ成功したのか』平凡社、2006年
  • リヒテルズ直子、『オランダの共生教育』平凡社、2010年

本稿の文責:リヒテルズ直子

シュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)

シュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)は、社会、経済、教育、医学、農業など人間生活のあらゆる分野に新機軸を示したオーストリア(現在のクロアチア)生まれの哲学者、ルドルフ・シュタイナーによって基礎づけられました。シュタイナーは独自の人間観による12年一貫教育の教育システムを提示しました。教育内容はもちろん、教員の養成方法、学校の運営の方法までその指針を作り上げ、シュタイナー教育を行う学校や幼稚園が広がっていく基盤をつくりました。

ルドルフ・シュタイナーは、1890年代の終わり頃から社会問題と教育問題を取り上げるようになりました。その鍵は、教育によって自由な人間精神を発展させることでした。シュタイナーは、当時のヨーロッパ諸国が国力増強の手段として教育を国家制度へ組み入れていくことを批判し、同時に、社会主義運動は国家を経済組織へと再編し、教育を経済に隷属させてしまうだろうと指摘しました。

第一次世界大戦終結後の1919年には、国家原理からも経済原理からも自由な学校として自由ヴァルドルフ学校の設立に関わりました。当時ではたいへん珍しい労働者の子どもたちための男女共学校としてスタートしたシュタイナー学校は、その後、欧米やオセアニア地域を中心に世界的な広がりをもつに至りました。

現在、世界には1,000校以上の全日制学校(2010年現在、国際ヴァルドルフ学校連盟登録数)と1,500園以上の幼稚園(2010年現在、国際シュタイナー/ヴァルドルフ幼児教育連盟登録数)が存在しています。1990年代に入るとアジア地域でも関心が高まり、日本をはじめ、韓国、台湾、中国、マレーシア、タイ、ネパールなどで学校や幼稚園が始まりました。日本では学校法人立やNPO法人立などの全日制学校が8校(2010年現在、全国シュタイナー学校運営連絡会による公称数)ほどあり、幼稚園は50園以上(2010年現在、日本シュタイナー幼児教育協会登録園)活動しています。

シュタイナー教育は、おおよそ以下のように特徴づけられます。

  1. 人間の発達や生理・心理についての緻密な理論に基づいている。シュタイナー教育のすべては、「子どもたちはこういうふうに発達するのだから、このように向き合っていくとよい」という基盤から導き出されており、誕生から7歳までは肉体と感覚の発達、7歳から14歳にかけては感情の発達、14歳以降に知性の発達が中心になるとして、早期の知的な教育を避けている。
  2. 授業全体を芸術的に扱うことがふさわしいという考えから、教育内容をむき出しのまま教えない。どのような教科においても、詩を唱え、歌を歌い、リズムにあわせて動き、絵画や造型活動で手を動かすことで、生き生きとした感情と意志を通して子どもたちは学ぶ。
  3. 教師の自由な創意と自主性がとりわけ重視される。教科書を踏襲するのではなく、時代や地域の文化状況、眼前の子どもたちの実情にあわせ、教師自らが授業をその都度創造していくことが目指される。そのため、教師は授業の準備に多くの時間を費やす。また、教師の創造性や自発性を支えるための、さまざまな芸術的トレーニングやメンタルトレーニングが確立されている。
  4. 教師会の役割が重視されている。教師会では、子どもたち一人一人の姿を複数の教師の目を通して共有しあい、その子の本質に多面的に近づくための努力がなされている。教師会には学校医も参加することが多い。医師が教育に関与することにより、予防医学や治療的な視点を教育に活かす可能性も開かれている。
  5. 教育は文化発展を通して社会に寄与するとする社会観に基づき、国家原理および経済原理からの自主独立を理念として掲げている。
  6. 幼稚園では異年齢の縦割りクラス、小学校以上では同一担任による8年間持ち上がり制の12年間一貫教育、同じ教科を数週間にわたって学ぶエポック授業、オイリュトミーと呼ばれる独自の身体芸術を採り入れるなど、外面的にもさまざまな特徴をもつ。

シュタイナー教育:参考資料

本稿の文責:古山明男/佐藤雅史

デモクラティック・スクール(サドベリー・スクール)

デモクラティック・スクール(サドベリー・スクール)とは、1968年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州フラミンガムで始まった私立学校、サドベリー・バレー・スクールの教育理念と実践をモデルにした学校の総称です。

アメリカ合衆国・カナダ・デンマーク・イスラエル・日本・オランダ・オーストラリア・ベルギー・ドイツなどに約40校、日本に5校あります。

制度

生徒は4歳から19歳までを対象としています。(対象年齢はスクールにより多少異なります。)学年分け、クラス分けはせず、異年齢の生徒が学校で一緒に過ごします。

サドベリースクールは、スタッフも生徒も等しく1票を持って参加する民主的な話し合いによって運営されます。校則、予算、採用・解雇、規律についても、話し合って決めています。デモクラティックスクールと呼ばれる由縁です。

教授法

子ども達は自分のしたいことを毎日欠かさず続けることで学んでいます。予め決められた授業内容やカリキュラムはありません。理由は以下です。

  • 産業の時代から情報の時代に移り、無数の新しいものが常に生み出されている
  • 情報時代の子ども達は関心のあるすべての物事にアクセスすることができる
  • 学びはあらゆるときに起こる
  • 人が生まれつき好奇心を持ち、学ぶ意欲を持っていることを信頼している

スクールの大人は「スタッフ」と呼ばれ、生徒から要望があった時に、いつ、何を、どのように学ぶかを話し合って決めます。スタッフは生徒との自然で対等な人間関係を築き、生徒の求めに応じて教えたり、学習のサポートや学校を存続・維持するために必要な仕事をします。遊びと会話を通しての学び、生徒同士の学び合い、自主学習も盛んです。

学力評価と成績

学習が自己の動機、自己管理、自己批判によって最善の形でもたらされるという考えから、学校側から公的な評価(通知表など)を与えることははありません。

学校評価

日本にあるデモクラティック・スクールは、学校法人として認可されていません。家族から選ばれ、続いていることが学校の評価です。

学校の本質的な特性、精神

自由な学びと自治(民主主義)

  • 自分を尊重する:
    好奇心は自尊心や自信へとつながるもので、情報革命後の社会では特に必要とされる要素です。
  • 他者を尊重する、環境を理解する:
    自分を尊重すること無しに真に他者を尊重することはできません。他者を尊重すること無しに真に自分を尊重することはできません。外面的な秩序・規則の形態(ストラクチャー)よりも、個々人の内面的な規律が育まれているかどうかが重要だと考えます。スタッフも生徒も等しく学校の大切な構成員の1人として、実際に学校運営に参加することは、お互いに自由で尊重しあう人間関係と、それを可能にする学校(コミュニティー)を築くという学びもあります。
子ども観や教育観

人はみな自ら必要なスキルを学んでいく潜在的な能力をもって生まれて来ます。子ども達は人間性の本質である生来の好奇心に突き動かされることで、自分を取り巻く世界に分け入り、それを我がものとしていく途方もないエクササイズを続ける努力家です。

人生のなかで意味を持ってくる学習とは、甘言、または褒美、あるいは圧力のないところで、学び手が自分で選んだ対象のなかに自己を投企するとき、はじめて成立する種類のものです。

また教師(スタッフ)は、学ぶ意欲と決心を持つ生徒を得たとき、はじめて比類なき達成感にひたることができます。学校は前に進もうとする子どもの意欲に答えるだけでいいのです。自由とともに、個々の子どもの諸活動の責任もその子どもとともにあります。

開放的で正直で、信頼にあふれた、権威的にもたらされた競争、強制、管理による恐怖の存在しない環境。権力や権威がもたらす恐怖の一掃された学校では、子ども達は心を開いて自分のもてる力のすべてで学ぶことができます。子ども達はあらゆることから学びます。教科教育に限らず、全ての活動は等価です。

デモクラティックスクール:参考資料

  • 『世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語』ダニエル グリーンバーグ (著), 大沼 安史 (翻訳) 緑風出版
  • 『自由な学びが見えてきた―サドベリー・レクチャーズ』ダニエル・グリンバーグ著 大沼安史訳 緑風出版
  • 『自由な学びとは - サドベリーの教育哲学』ダニエル・グリンバーグ著 大沼安史訳 緑風出版
    [原著]Daniel Greenberg (1994) Worlds In Creation, Sudbury Valley School.

フレネ教育

フレネ教育の風景

フレネ教育は、セレスタン・フレネ(1896~1966)が1920年代に始めた、「子どもの生活、興味、自由な表現」から出発し、印刷機や様々な道具、手仕事を導入して芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習、協同的人格の育成を図る教育法です。

フレネは戦前・戦後を通じ一貫して、生活と教育を結びつけることを追求し、そのための多くの学校技術を開発しました。その技術の基礎となったのは、わが国の生活綴り方教育運動にも似た、学校印刷所運動です。

1920年、彼は南フランスの山の中の小さな学校に赴任。しかしそこで彼を待っていたのは、子どもの世界とかけ離れた教科書とその説明に終始する教師、その反復練習のためにすっかり学習意欲を無くした子ども達でした。

彼はやる気をなくした子ども達のために、午後の時間を使って散歩教室を始め、村の小川や野原を歩いたり、畑や職人達の仕事場を見てまわったりしました。彼らは好奇心と活力にあふれた表情をみせ、教師と親しげに語り合うようになりました。

フレネは、散歩教室で発揮される子どもの活力を、どうしたら学習の中に持ち込むことができるかを考えました。彼は教室に印刷機を備えつけ、子ども達が綴った文を印刷しそれを教科書にかえて「自由な教科書」として使うことを考えたのです。

やがて彼は、理性的共同体における人格の自己形成を目的とした教育学を、学習材と教育技術の土台の上に建設することを主張。生活を観察し、表現し批評し合うなかで生まれる興味の複合の探究のための学習文庫や協同学習カード、計算や読み書きのためのカードを協同組合方式によって開発しました。これらの学習材と学校文集や学校間通信などの教育技術の裏付けをともなって教科書による一斉授業の廃止を提唱し、仕事を基礎とした個性化と協同化の2大原理による実践を組織したのです。

このようなフレネの試みは、彼なき後も「現代学校運動」として発展を続けており、フランスの公立学校では約1割の教員が実践、スペイン、ドイツ、ブラジルなど世界29カ国以上へも広がっています。

日本では、1983年に宮ヶ谷徳三氏や若狭蔵之助氏らが中心になって「フレネ教育研究会」が設立され、フレネ教育の研究と研修を行なっています。一部の公立や私立の学校のクラスでは、ふだんの授業の中に「自由作文」や「手仕事」などのフレネの学校技術を取り入れた実践が行なわれています。けやの森学園(埼玉県狭山市)、ジャパンフレネ(東京都新宿区)、箕面こどもの森学園(大阪府箕面市)など、フレネ教育を取り入れた個人立やNPO法人立の幼稚園、学校もあります。

フレネ教育には以下のような特徴があります。

異年齢の子どもが学び合う

南フランスのヴァンスにあるフレネ学校では、年齢で分けられているのではなく、約60人の生徒のうち、3~5歳、6~7歳が中心のクラス、8~11歳までの3クラス。 少人数で、異年齢が学びあうクラスでは、年長の子どもがちいさな子どもに気を配る光景が見られるなど、互いを思いやる気持ちが自然と育まれる。

3歳から文章で表現

フレネ教育の大きな柱は「作文」と「印刷」である。子どもが日常生活のなかで発見し、表現したいと思ったことを文章にしていく。子どもたちは3歳から文章を書くが、はじめは先生が手助けし、取り組む。自分で書いたものが印刷され、他人に読まれるのは嬉しいから、自分の思いをきちんと表現しようという意欲が沸いてくる。

活動計画表にそって学習する

子どもたちは,自由作文や詩の朗読、文法の説明のとき以外は、自分で決めた活動計画表にそって自分のペースで学習する。分からないことがあれば,先生に質問して個別でじっくり学ぶというスタイル。毎日、学校での仕事が目標通りに進んだかどうか、計画表のマス目を進んだ分だけペンで塗りつぶしていくことによって自分の学習を管理する。そして2週間ごとに、子ども自身がみんなの前で自己評価を示し、みんなで話し合って最終の評価を決める。

意見交換

フレネ学校の子どもは対話の名人と呼ばれる。お互いの考えを話し合うという習慣があるからだ。毎日の「朝の会」「帰りの会」「コンフェランス」(親子の研究発表会)、協同組合の集会(学級・全校集会)があり、意見交換をよくしている。 クラスには言いたいことを自由に書き込める壁新聞があり、そこでの「称賛する」「批判する」「実行した」「希望する」の欄に書かれたことが話し合いのテーマになる。議長は子どもで、先生も参加する。

尊重しプライドを傷つけない

フレネ学校の先生は、「子ども一人ひとりを尊重すること」、「子どもの情熱、子どもの中にある欲求を最高の段階まで導くこと」、「子どもに失敗を恐れさせないこと」が大切だという。みんなの前で詩を読むとき、子どもは「自分が覚えたものをみんなが聞いてくれる」という誇らしい気持ちを持っている。それを聞いて、子どもたちは率直に発言し、批判もする。それは、一人ひとりの存在が認められ、お互いのよさを認め合う関係ができているからだ。

フレネ教育:参考資料

  • フレネ教育研究会ホームページ
  • 箕面こどもの森学園ホームページ、「フレネ教育とは?」
  • 「月刊クーヨン「のびのび子育て」2008年09月号増刊「子どもに受けさせたい世界の幼児教育」の「フレネ教育」(文・田中仁一郎)
  • セレスタン・フレネ著、宮ヶ谷徳三訳「新装版 手仕事を学校へ」黎明書房
  • セレスタン・フレネ著、宮ヶ谷徳三訳「仕事の教育」明治図書
  • セレスタン・フレネ著、石川慶子、若狭蔵之助訳「フランスの現代学校」明治図書
  • 原章二、原光枝著「フレネ自由学校だより」あゆみ出版
  • 若狭蔵之助著「子どものしごと」青木書店
  • 田中仁一郎著「教室を変える」青木書店

本稿の文責:辻 正矩

モンテッソーリ教育

モンテッソーリ教育の創始者マリア・モンテッソーリ(1870〜1952)は、イタリアで最初の女性医学博士でした。モンテッソーリは、はじめ知的障害児教育の研究をしていましたが、知的障害児に有効な方法は普通児にも適用できるだろうと考え、1907年にローマの貧民街で「子どもの家」という教育施設を設けました。「子どもの家」では、子どもたちの行動は落ち着いていて、さまざまな関心や能力を示し、人々を驚嘆させました。

モンテッソーリは、子どもが自発的にしている活動に着目しました。子どもは絵を描くことに熱中したり、ものをある場所から別な場所に移すことに熱中したりします。子どもが散歩に出ると、虫や花をみつけて飽きることなく観察しています。このような子どもの活動を、モンテッソーリは子どもが自分の発達課題を持って、仕事をしているのだと捉えました。子どもの自発的な活動を支援することを柱として、独自の教育のシステムを作り上げました。それが「モンテッソーリ教育」と呼ばれています。子どもの感覚を大事にするさまざまな教材が開発されています。

晩年のモンテッソーリは、ファシスト政権と合わず、国外で活動します。インドで教育活動をし、戦後はオランダに住んでモンテッソーリ教育を推進しています。モンテッソーリ教育は、幼児教育で有名になっていますが、モンテッソーリの小学校もたくさんありますし、中等教育学校も存在します。

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